ぼかろほりっく

【プロローグ】
 6畳1間の部屋の中で、その見知らぬ白人ミュージシャンは、長髪を振り乱しながら歌っていた。
<俺は今、お前の犬になる! 犬になる!>
 そして、俺が小1の時から使ってる勉強机に乗っかって、ギターをかき鳴らす。長髪から汗が飛び散る。バリバリと割れた音が、俺の脳を直接ゆさぶる。
<俺は犬になる! 犬になる!! カモンッ!>
 正直、どうしてこの人は犬になりたいのかさっぱりわからない。でも、こんな破れかぶれな言葉を叫ぶのが、<パンク>ってやつの流儀なんだろう。VR-PHONE(ブイアールフォン)を使って初めて見たそのパンクっていう音楽は、俺の心臓をバクバクと揺らした。
 そして俺は、その人と同じように床を転げまわりながら、力いっぱい叫んだ。
「俺は犬になる!!!」

 今日、ソーシャルワークで訪れた老人ホームで、俺はいつものようにじいちゃんやばあちゃんたちと音楽談義に花を咲かせていた。ここに来る時は、いつも、俺の担当業務である介護ロボの設備点検をさっさと済ませるやいなや、俺はすぐにじいちゃんばあちゃんたちに昔の音楽の話を聞かせてもらう。
 特に、若い頃は世界中を回ってその地の音楽に触れていたっていう祐三じいちゃんは、俺の知らないいろんなジャンルの音楽を教えてくれる。それで今日は、祐三じいちゃんが生まれる前からあった、パンクっていうものの存在を教えてもらったんだ。
 俺は早くそのパンクっていうやつが聴きたくてたまらず、家に帰るなりVR-PHONEを装着した。
 大きめのヘッドホンに似たこの機械は、左右にひとつずつ超小型プロジェクタを内蔵している。こいつを頭に装着して電源を入れると、目の前に半円状のスクリーンが現れ、そこにさまざまな立体映像が表示される。
 このスクリーン上の映像は、現実の風景と二重写しになって、あたかも目の前に実在するかのように見える。そして、電気信号が聴覚を直接、刺激し、リアルな立体音響が脳内に流れ込む。これを使えば、典型的な庶民の住まう集合住宅の一室でも、パンクの鳴り響くライブハウスに早変わり、ってわけだ。
 こういう体験を、<拡張現実>だとか<複合現実>だとか言うって学校で習ったけど、俺にはその言葉の違いがいまいちよくわからない。俺にとって、このVR-PHONEは、何より音楽に触れるための大事なツールだ。

 ……。
 いつの間にか、曲は終わっていた。
 スクリーンの隅に出てきたイギーが、柴犬のように丸っこい体を揺らして、口を開く。
「ずいぶん息が上がってるね」
「まぁな……」
「血圧が130を越えてるよ」
「だろうな……」
「あと、ズボンのチャックが開いてる」
 !
 寝転んだままの体勢で慌てて下半身に目をやると、チャックが全開になっているどころか、ベルト部分がほとんど膝までずり落ちていた。上着の方はとっくに脱いで放り出してしまったので、今の俺は、ほとんど裸同然の状態だった。
 まぁ、この制服も、ほとんど365日着てるからな。バイオ除菌繊維が織り込まれてるっていっても、そろそろ母さんに洗ってもらわなきゃいけない時期だろう……。
 俺はズボンを脱ぎ捨て、パンツ一枚になると、VRイメージで構成された犬のようなキャラクター<イギー>に再び声をかけた。
「もうちょいさ、ゆっくりした感じの曲、ない?」
「うーん。じゃあ、これでどう?」
 新しく目の前に現れたVRイメージは、ツインギターにベース、ドラムの4人組バンドだった。
<あの娘の言うことを聞きなよ 世界の半分は彼女のものさ……>
 この上なく甘いメロディーを、ささやくように歌うボーカル。その透き通った声に、ノイジーなギターの音がかぶさっていき、やがて空間が音で満たされていく。
 その音を聞いていると、目の前が真っ白になって、ふと体が浮いていくような感覚が訪れる。ああ、これが至福ってやつか……。
 曲が終わる頃には、俺はすっかりクラクラしてしまい、まるで遊園地の無重力ブランコに乗っているような気分だった。
「イギー、今日はいろんな音楽が聴いてみたいんだ。どんどん違う曲を持ってきてよ」
「オッケー」
 イギーは次から次へと、ヴァーチャル空間<ニューロマンサ>から新しいVRイメージを取り出してきた。
 このニューロマンサには、ありとあらゆるデータが集まっている。音楽だけでも、気の遠くなるほどのデータ量だ。俺が聞いたことのない曲は、ほとんど無限に存在している。
 単純なドラムのループに乗せて、黒人が英語で喋り倒している曲。見たこともないようないろんな楽器を抱えた大楽団の中心で、太ったおばさんが高らかに歌い上げている曲。中には、ピアノを前に、背の高い白人が4分以上も座っているだけ、なんていう曲もあったな……。
 音楽好きの俺も、知らないジャンルの曲をこんなに立て続けに聞くと、なんだかちょっと……、飽きてくる。どれも楽しみどころがわからない、というか。
「ねぇ、もうちょっとこう、ポワ〜ン、となるような曲はない?」
 俺が曖昧な指示を出すと、
「あいかわらず日本語が不得意だね」
 イギーがさらりと毒を吐く。俺の<アミ>のくせに、なんて生意気なやつだ……。
 アミは本来、ユーザーがVR-PHONEを使うのを補助してくれるソフトウェアだ。いわば、データで構築された“友達みたいな召使い”のはずだが、俺のアミであるイギーは、最近やたらと毒舌が目立つ。<友達>ステータスの設定が高すぎるんだろうか?
「早く具体的な指示を出してよ。相変わらず頭のクロック数が低いんだから」
 く……。友達でもこんな上から目線でものを言わないぞ……!
 でも、イギーに手伝ってもらわなきゃ、俺はVR-PHONEで音楽も聴くことができないのは事実。はっきり言うのは恥ずかしかったけれど、俺は今、欲している曲をイギーに伝えた。
「アレだよ、アレ。その……、かわいい女の子が歌ってる曲。俺は、かわいい女の子が観たいの!」
「どうせそんなことだろうと思ったよ。0.0003秒で見つけてくる」
 こいつ、分かってて言わせたのかよ! いつかステータスを変えて、俺の忠実なるしもべにしてやるからな……!!
 などと考えながら、ベッドの方に目をやると、もうそこには“女の子”が座っていた。彼女の座っている部分の記憶形状マットが少しも変化していないことから、その子は本物の人間じゃなく、VR-PHONEのスクリーン上に表示されたヴァーチャルな映像だということがわかる。
 というか、七色に変化する長い髪に、俺の3倍くらいはありそうな大きな目。それから……、
「はじめまして。歌っていい?」
 そのどこかフルートの音のようでいて、少しエコーがかかった声は、明らかに実在の人間の声じゃない。これって、ずいぶん昔に流行ったっていう、「アニメ」ってやつのキャラクターじゃないのか……?
<ラララ 私に歌わせてほしい 世界にたったひとつの あなたの声で>
 VR-PHONEに浮かび上がったその女の子は、俺の返事を待たずに歌いはじめた。
<ラララ あなたも聴かなきゃ惜しいわ 世界にたったひとつの 愛の奏で>
 彼女(で、いいんだろうか?)の不思議な声は、ますます複雑に変化しながら、俺の体をなでるように通り過ぎていく。サウンドは小鳥のさえずりのように軽やかで、俺の知っているどんな楽器にもない、不思議な質感を持っていた。これって、コンピューターで作られた音だろうか?
 想像さえしていなかった音楽との出会いに、俺の頭は判断停止に陥っていた。これは、美しいと言っていいのか、醜いと言うべきだろう。繊細なのか、空虚なのか……。
 とりあえず、ひとつだけ言えそうなことがある。バンドで演奏することが大好きな俺にとって、この音楽は、絶対に、完璧に、極端に、“関係のないもの”ということだ。

「ピッピッピッ」
 無粋な警告音が鳴ったかと思うと、目の前で歌っていた女の子は一瞬、動作を淀ませて、スッと消えた。代わりに、イギーが俺の視界のど真ん中に出てくる。
「ユータ、お楽しみはもう終わりみたいだよ。VR-PHONEを外して、後ろを振り返ってみて。じゃあ」
 スクリーン上に表示されていた波長グラフやボリュームメーターが、イギーとともに一斉に視界から消えた。
「なんだよ、一体……」
 VR-PHONEを頭から外して、後ろを振り返ると、そこには小さな鬼……、もとい、我が母が立っていた。
「人の部屋に勝手に入ってくんなよ!」
「ちゃんとノックしたわよ」
「じゃなくて、VR-PHONEを鳴らしてくれればいいじゃん!」
「なんで息子の部屋に入るのに、そんなメンドくさいことしなきゃならないのよ。それよりあんた、なんて格好してるわけ?」
 ん?
 ん……?
 あーーー!!
 さっき制服を脱ぎ捨てたまま、パンツ一丁になっていたことを、すっかり忘れていた。
 俺は慌ててズボンをはきなおしながら、
「見んなよっ!」
「見るほどのもん持ってないでしょ」
 またしても、毒づかれてしまった。しかも、思春期の息子の下半身に言及するなんて……。なんてデリカシーのない人なんだ。もしかして、この人の性格がイギーにインプットされてるんじゃないだろうか?
「それより、その制服、こっちにかしなさいよ。もうずっと洗ってないでしょ?」
 俄然、俺の心は不満でいっぱいだったが、さっき確かに、制服を洗濯してもらうべきだと思ったところだった。俺はしぶしぶ、はきかけていたズボンと、みっともなく放り出されていた上着をまとめて、この小鬼……、もとい、母さんに渡した。
「まったく。勉強もせずに、音楽ばっかり聴いて」
「なんで音楽を聴いてたってわかんだよ。VR-PHONEで自習してたかも知れねーだろ」
「よだれ垂らして頭振りながら勉強するバカが、どこの世界にいるの」
 俺はとっさに口元をぬぐう。ベトッとした水気……。確かに俺は、よだれをたらしていたようだ。
 ていうか、いつから俺は見られてたんだ!
「30分前よ。あんまり楽しそうにしてるから、しばらく放っといてあげたんだから」
 まるで俺の質問を先取りしたかのように、母さんはそう言いながら、後ろにいた家事ロボットと一緒にリビングの方に向かう。
 立ち去り際、家事ロボットがこちらにセンサーを向け、
「ピッピッピッ。ピーーーー。警告。風邪ヲヒキマス。今スグ衣類ヲ身ニツケテクダサイ」
 と言い残していった。なんだか、機械にまでバカにされた気分……。

 こんな小市民を絵に描いたような家庭で育てられて、俺は偉大なロックミュージシャンたちのように、魂のこもった“本物の音楽”を作れるんだろうか?